大切な存在

ここでは、「大切な存在」 に関する記事を紹介しています。
 “お前は病んでいる”

数年前、酒に酔った父に私が言われた言葉。
田舎から都会に出て、流されて、水商売や風俗、ヤクザ、そして覚せい剤、
ドメスティック・バイオレンス…

ボクシングとの出会いから人間失格を脱出。

摂食障害の始まり…

田舎に戻り、同級生と結婚、出産を経て今…
欲を言わなければ、平凡だけど幸せな生活を手に入れることができた今の
私の心の中・毎日の日記を綴りたい、自分を見つめなおすためにと
始めたブログです。

あまりにも身勝手な内容で不愉快にさせたら、ごめんなさい!!!
立ち止まって、読んで下さった方ありがとう!


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私の主人は、小・中学校の同級生。

小さいころ、私の祖母と、主人の祖母がお茶飲み友達で
遊んだ記憶がある。

主人にとって私は、初恋の人らしい。
あの頃は、細くて白くて、やわなイメージだった主人。
学生時代は、恋愛にさほど興味がなかった私は、
そんなこと気づきもしなかった。


再会したのは、4年弱前。
“今頃どうしているんだろう?”
と、私のことを思ってくれた主人が、友達に電話をしてもらったのだ。

たまたま実家に戻っていた姉から私へと。
当時、母の実家でもある秋田県にいた私は、
誰?あっ、あのやわそうだった子!?
が、最初の反応でした。

口下手なのに、毎晩電話をくれる彼。
以外や以外、頑固なまでの押しの強さに、私は会うことを決心。
はじめから結婚を意識していた主人に私はとまどいながらも、
生まれ育った実家のある福島県に戻り、
約6ヶ月のお付き合いを経て、結婚した。

正直、父のいる環境がイヤだった。
そこから逃げ出したかったのもある。
失礼な話だが…

私が経験してきた過去をすべて受け入れ、
刺青が入った背中も躊躇なく抱きしめてくれた主人。

結婚相談所にまで登録していた主人をただ結婚したかっただけでしょうと、
疑いぶつかったときもある。
心定まらずイライラする私を、すべて受け止めてくれる主人。

いつだったか、機関銃のようになっていた私に、
別れたいと言った私に、
「俺じゃなきゃ無理だよぉ」
と、真面目な顔で言った主人。
あの時、確かに!と、つくづく感じたことがあった。

こんな私を愛してくれてありがとう!
そして、これからもよろしくね。

大切に、信じて、共に寄り添い歩みたい…と、切に思う



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私の可愛い自慢の妹。

彼女は学生のころから、いやいや幼いときから、可愛い子でした。
ぷにぷにした頬、クルっとした瞳、サラサラとした髪の毛。

学生のころ、
「お前の妹、彼氏いるの?」と、聞かれたこともあるほどに。
嫉妬心を抱くどころか、嬉しかったことを覚えています。

そして、勉強もでき優等生で、私達姉よりもしっかりとした子。

「学生のころ、3人姉妹なのに私だけ仲間はずれの思いした事あったよ」
「お姉ちゃんたちには入り込めないものがあった」
なんて、少し寂しい思いさせていたことに、気づかなくてごめんね。

そして、たくさんの心配や迷惑かけてごめんね。

それでも、私たちのこと大切に思ってくれている妹。

私が、彼氏から殴られそうになった時、たまたまその場にいた、あなたが
「大事なお姉ちゃんに手出したら、許さないから」
と、するどい眼差しで私を守ってくれたあなたの横顔。
きっと、一生忘れられない。忘れてもいけない。
あなたは、大切なものを守ろうとする、素敵な強さを持っている。

自分では、道をはずれられないんだと、言っていたけど、
そうじゃないんだよ。
“はずれられないのではなく、あなたは道をはずさないの。”

自身をもって進んで。

孤独を感じるとき、イライラが募るとき、あるよね。
でも、大丈夫!
あなたは、頑張っているもの。
あなたは、私の自慢の大切な大切な妹


私の育ての母は、父の姉、おばちゃん。
自殺した実の母の代わりにと、私達姉妹を結婚もせずに、
ここまで育ててくれた。
尊敬する一人でもある。

社会人になり心配・迷惑をかけどおしだった私を、
心身ともに傷ついていた私を何も言わずに受け入れてくれた
おばちゃん。
顔が腫れ、スキンヘッドにされた私を、
刺青の入った(手のひらサイズではあるが)私の背中を、
抱きしめて涙を流してくれたおばちゃん。

酔った父が暴れて暴言を吐き、私達姉妹に手をあげそうに
なった時、一緒になって寒空の夜中に外に
逃げ出してくれた、おばちゃん。

そんな大切なおばちゃんをおいて、嫁いでしまった私を
許して下さい。

たまに会って愚痴を聞くしかできない私を
許してください。


そう、私はへこんでなんかいられない。
おばちゃんのためにも、大切な人達のためにも
幸せになるんだ。

一歩ずつ一歩ずつ…
私の産みの母はこの世にいない。
私が3歳の時に、妹が1歳になった年に
首吊り自殺をしたのだ。

今私は来月で32歳を迎えようとしている。
母の自殺の話は私が27のときに、母の実母である祖母から聞かされた。
それまで、胃がんでなくなったと聞かされていた私は、
そして姉妹は驚きとショックで何も言えなく、ただ泣けてきた。

父の両親とつまり、母から見れば義父母との同居、
共働き、そして子供が3人(私には双子の姉と、2歳下の妹がいる)、
父の性格、短気でお酒が入ると暴れる、
そういったすべての環境要因や、母の性格から、
自ら命をたったのであろう。

憎しみはない。
なぜ私たち子供をおいて?と悲しくなるときもあるが…
父が暴れる姿を見たり、聞いたり、殴られたりしたときは
母が生きていたら少しは良かったのか…
と思ったりもする。

母と同じ環境、義父母との同居、育児の最中の今、
母も嫌なこともあっただろうと、分かることもある。

過去自己嫌悪で、現状をなげき死にたいと
考えたこともある。

けれど、今は死ねない。
世の中捨てたもんじゃないとも感じることも出来たし、
何より、守りたいものが出来たから。

片意地張らずに、ほどほどに頑張り、強く生きていきたい
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